設立時の時代背景 関西の会の歴史その1

 せっかくブログを付けたので、飲み会でよく聞かれることを順番に書いて行こうかと思います。

 「なんで関西の会をやっているのか?」「どんな人が来ている(来ていた)のか?」がツートップで、その次に多いのが「いつからやっているか?」だと思います。どんな人が来ている(来ていた)のか?」については、また別の機会に書くことにして、今日は(というかしばらく)、関西の会の過去を振り返りながら残りの2つの質問に答えたいと思います。

 関西の会設立は1998年10月。もう18年前になるんですが、2年ほど活動休止していた時期があるので、今は活動16年という説明をしています。なぜ活動休止したかというと元々最初に活動始めた時に「10年期間限定」をひとつの目標として、期限を決めて全力で遊ぼうを合言葉にとにかく色んなことに挑戦しました。どんなことをやったかについては、活動履歴を観ていただくとして、なので、今まだ続いていることが私にとっては予定外だったりします。

 では、なぜ、わざわざこういうことを言っていたかというと、実は当時の時代背景にあります。この時期ってまだfacebookやmixiみたいなSNSどころかGoogleでさえなく、インターネットはモデムを使ってダイヤルアップ接続していました。もちろん携帯電話ではemailは使えなかったのです。今ではちょっと考えにくいですが、emailのないメンバーの半分ぐらいには3日ぐらいかけて電話連絡していました。(^^;)

 当時は企業でさえ上場企業以外はまだWEBサイトを持っている会社も珍しかった一方で、個人がインターネットを使うことによって、自由に情報発信を出来るというのはやはり革命的で、これまで人間関係の人と繋がるということで様々なサークルっぽいものが溢れていました。yahooやexceitなどのポータルサイトがアクセス数を増やす目的でサークル募集をサービスとして提供していたぐらいです。もっとも社会人サークルを名乗った宗教・マルチの勧誘や1,2回やってすぐ潰れる怪しげなところも多く、結局トラブルも多かったみたいで、数年でいずれもサービスやめちゃいましたけど。

 必ず連絡がつく、定期的に開催されるは必要条件ですが、守られているかというと怪しげで、年会費取ったのにすぐ潰れるなんてざらでした。
何がいいたいかと言うと、当時社会人サークルは不特定多数に対して募集するには存在意義や目的が必要で、なによりも重視されたのが信頼感だったのです。(と私は思っています)
 また、締切が決まっていると人間以外と頑張るもので、言った以上守もらなきゃという気も働き、度重なる解散の危機を乗り越えてきました。
今振り返ると決めといてよかったなとつくづく思います。

 まだ、まったく回答していませんが、長くなったので次回に続きます。